- 竹槍
『蓬莱トリビュート』感想と色々
最終更新: 2020年12月4日
リイド社『蓬莱トリビュート』を読んだ。
中国古典のコミカライズ短編集。実在する志怪小説や武侠小説を元にしている。
実はこれに気が付いたのは読了したあとの話で、
冒頭2-3話読んで
ストーリーの細部が描かれておらずあまりにも展開が早すぎる点や
人物一人一人の心情や生い立ちへのフォーカスがほぼない点などから
あれ?これ古典風創作かと思ってたけど古典そのものなんじゃね?
と思って読み進め、読了するころにはその疑念は確信に変わっており
最後に調べてみたら、どの話にもちゃんと出典が有りました。
これは勿体ない!出典があるなら作中に明記すれば良かったのに。
もしかしたら出典が明記されていないのは
純粋に時代を問わない創作の面白さを楽しんでほしい、
みたいな作り手の配慮だったのかもしれない。
けれど当然ながら
現代と古典の時代とでは良しとされる語り方が違うはずで、
[竹槍]のように古典風創作だと思って読み進めると
現代人の感覚では語り方(描き方)にかなりの違和感を覚える箇所がたくさんある。
予め古典のコミカライズであることを知った上で読んだほうが
違和感なく楽しめる作品だと思う。
けれども、個人的には
「一人一人の心情や生い立ちへのフォーカス」をしすぎない古典風な語り方が
より好きだったりする。
しかし老荘・道教まわりの研究を本気で志した学生時代を経ているから
人よりは唐漢時代の古典を知っている自負があったが、
蓬莱トリビュートに載っている話で出典が調べずにぱっと出てきたのはひとつもなく
自分の不勉強を反省したのと、
それ以上に、古典を資料としてゴリゴリ扱ってばかりで、
純粋に読んで楽しむという接し方を殆どしてこなかったことを反省した。
だから出典がすぐ言えないのだ。
クエリさえ覚えとけばあとは四庫全書引けばすぐわかるから、
それ以上のことを覚えるのは脳ディスク容量の無駄、みたいなことを思ってるから。
このようにあらゆるものへのリスペクトが足りないのは[竹槍]の悪い癖である。
とりあえず捜神記買って読み物としてちゃんと読もう。
賢しらぶって原文で買ったりせず、
読む負荷が低くて話に入りやすい現代語訳つきのものを買おう。
さて話の中でいちばん印象的だったのは「異類の娘」二話で、
娘たちが引用も交えながら詩を詠出するさまを「賢い」と評していることだ。
古典の時代と現代とでは賢さの定義がだいぶ変わってしまったなあとしみじみ思う。
現代でも芸術家や文筆家に賢そうな側面こそあるけれども、
これらの職業(或いは趣味特技)は賢そうなそれの筆頭とはなり得ないのではないだろうか。
じゃああなたの思ういかにも賢そうな職業とは?三秒以内に答えて!
というと、医者や科学者やエンジニアを答える人が多いのではないだろうか。
今ではそのような、どちらかというと理系的な
現実を理解し対処するためのノウハウによって構成される知性
が賢さとして認識されやすいように感じる。
だから文系的あるいは芸術的な、
現実にはないものを空想して紡ぎだすことによって構成される知性
はどちらかというと見下されているように感じることが日常生活の中でままあり、
少し悲しい。
[竹槍]は文系出身から電気主任技術者を取ってエンジニアになった。
就職で超理転したくちなので
一般的な文系の理数リテラシーのなさは惨憺たるものだということは知っているけれど
かといって理系的な知性だって全然特別ではなく、
文系を見下せるほどもないことだって身をもって知っている。
簡単のために「理系」「文系」という言葉をたくさん使ったけど
そもそもその分け方自体が好きではないのだ。
様々な分野をひっくるめた広義の文学を果たして学問かと言われたら
どうだろうね???となる分野も中にはある。確かにある。
けれども学際的にメンツを保てるからより価値がある
(或いは逆で学際的にメンツを保てないからより価値がない)
ってことではおそらくなくて、
例えば[竹槍]が東洋思想史に傾倒していったのも、
これから人類を救うのは(とかいうとだいぶ大げさだが)
もはや医療や技術ではなく、
思想や哲学や芸術やらの人文系の知性だという思いが根っこにあったからだ。
だってこれ以上長生きしたいとか便利になってほしいとか
もうみんなあまり思ってないんじゃないか。
それよりは、自他ともにより幸福度を高める考え方だとか、
世界をより美しく捉えるための訓練だとかのほうが大事なのではないか。
あと分野を問わず純粋に知的好奇心をそそることとか。
ただそれらのことは絶望的に経済価値がないので
残念ながらしばらく寝かせることになったが。
だから、この古典の時代がそうであったように、
うつくしいものに対して常にアンテナを張って
素敵な文章に出会ったらその素敵さをわかって
自分で使えるまでに落とし込んで
そしてよりうつくしいものを自らの手で紡ぐ
そういう知性がもっと評価されて、
みんなが医療や技術を使いこなしたり求めたりするのと
同じくらいの地位になれば良いのになあと、心から願う。
古典の再発掘はこういう点で価値があるし
志はあれども寝かせなきゃいけなくなる人が一人でも減るよう、
積極的にお布施したいと思う。