• 竹槍

にんげんだもの

最終更新: 2020年12月4日

この世界は認知によって形作られている。

だから、認知量の多い個体はそれだけ世界形成に与える影響が大きい。

命の価値は個体ごとに平等ではなく、認知量の差を即ち価値の差と考える。

けれども、例え1ビットでも認知量を持っていれば

それだけでもう世界形成に貢献しているのであるから、

どんな認知(=命)も尊い。


このような世界観を、いつの間にか獲得していた。


メタ認知や空想を常にしていないと気が済まない癖があり、

時々それで生きづらさを感じることがある。

社会に身を立てようとするに

必要になるのはこの時代・この場所でしか通用しない

メタ認知とは縁遠い規則ばかりで

そんなものは極力スルーしていたいのに、

その思いに反して殆どの肉体的・精神的労力を

それらへの順応に投じなければいけない現実が歯がゆい。


規則(法則)を観察したり考えたりするのは好きだ。

その規則の共通性が大きければ大きいほどよい。

頭が足りなくて研究者にはなれないけど、

古今東西関係なく物質全部に適用される法則を扱っている

物理学のような分野はとても好きだし、

これまた古今東西関係なく生き物に広く共通する法則を扱う

生物学なんかも相当好きだ。

特に生き物は認知の主体だからとても大事だ。

あと共通性は少し小さくなるものの、

時代を経ても変わらない思考法や価値観を発見できる可能性がある点で

文献学も相当好きだ。

人間の認知量は他の生物種とは比べ物にならない。

大学で極めようと思った分野はここに相当する。


メタ的な視点で世界を見るには

大きな共通性を持つ法則に則った観点を獲得していることが有用に働くのだ。


人類に生まれたのだから

人類にしかできないような頭の使い方をしなければ

宝の持ち腐れであるという考えが根っこにあるのかもしれない。

それが[竹槍]の場合は空想やメタ認知であって、

立身出世のために

せいぜい国境内のひと・ふた世代にしか通用しないような価値基準に

ひたすら順応を重ねるようなことではなかった、ということだ。

それらの規則へ順応して得られる価値って、家族や仲間や地位?

それを価値とするならば植物や虫や菌に道を譲りたいな。


大学時代の友人で経営を志した人があり、

プレイヤー(実務者)になるな、マネージャーになれ

と言っていた。

けれども[竹槍]の知っているマネージャーたちはみんな

「国境内のひと・ふた世代にしか通用しないような」ことで

頭のなかを埋めてしまっている。

埋めてしまうくらいでなければ、マネージャーなど務まらない、

マネージャーたるにはそれだけ頭脳も労力も使うということだと思っている。

自分だけはそうならずに済むなんて思えない。

メタ的に見つめるとマネージャーこそプレイヤーだ。

だから[竹槍]は頑なにプレイヤーを選ぶ、頭のなかの余白を殺してしまわないために。

余白が空想を生み、空想は少しずつ世界の形を変える。

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