• 竹槍

人がゴミのようだ!!!!!

先日江の島を観光した際にふと気になったのだが

観光地へ行くたびにカメラを向ける対象が人と違いすぎていてもにょる。

みんなが撮るものといえばやたら記念写真で人を映してる人が多いが

それがまずよくわからない。

普段着の標準的な容貌の人間など撮ったところで絵にもなるまいし

思い出として後から見返したとて

「この土地へ来た」ということ以外何の情報量もあるまい。

運よく似たような美的感覚の相手と一緒に成れたのか、

夫婦で旅行に行ったときなど

人間を映した写真が一枚もないことを双方の親に突っ込まれたものだ。


おそらく彼らは地形や路地や謎スポットのことも全然認知していないのであろうな。

それらのことを全部素通りして

検索すれば出てくるような超さわりの所だけ見て

何が楽しくて来てるんだろうな?

人にはカメラを向けるってことは、

同行している友人やパートナーとの

コミュニケーションや観察に終始しているのか?

人にしか興味が向いていないのだろうか。


だから[竹槍]はそれらの人に興味が持てないのだ。


「人に興味がない」と公言すると「自分にしか興味がない」と曲解されるのは

つまりそういうことであろう。

彼らの中には人と自分しかおらず、

我々を取り巻く物理現象や自然や、その一部たる動物としての、種としての人

などを興味の対象として認知していないようにすら見えることがある。


「人から評価されなければ意味がないのだ」という趣旨の価値観を

誇らしげに語る[御仁]が身近に居てな。

それで評価を得て成功しているあいだは良いが、

その価値観を振りまくことは全ての人にとって

福祉となるよりは害悪となる場合のほうが多いということに、

びっくりするほど誰も気づいていないのだ。

第一に評価を得て成功する人などほんの一握り。

これは努力値とか絶対値とかのはなしではない。

その絶対値がどれほど大きかろうが、人の目は肥えてゆくのだから

成功といえるような評価を得られるということは

頭一つ抜きんでて目立っている、ということに他ならないのだ。

つまり、せいぜい上から数%と決まっている。

残りの8割9割つまりほとんどの人は、この価値観において敗北者となる。

この価値観を声高に叫ぶ人は、

努力したけれども思うような評価を得られずに敗れ去った人

人から責められるいわれなど何もない人を

意識的にせよ無意識的にせよ事実としてこきおろして

全体の幸福度を押し下げているのだということに、気が付かないのだろうか。

第二に人から評価を得るためにしなくてはならないことは

何はなくともまず目立つことであり、

内容を問わずよく喋るやつ、声のでかいやつ、

容姿の目立つやつ、宣伝のための資本を持っているやつ

などが無条件に正義となりかねない。


だから最近やっとSNSと幸福度の関係が証明されてきたり、

価値基準を他人の評価に立脚することは危ういのだと叫ばれるようになってきて、

良いぞもっとやれと思っていたところへこれですよ。


老害かよ。


それではSNSでいいねが得られずにくよくよしている承認欲求ちゃんと

何も変わらないんだって。

そこにあるのは、社会的に成功したかまだ成功していないかの違いだけだ。


人それぞれという意見が最も受容されるが、思想は言動の端々ににじみ出るから。

言動の端々ににじみ出てしまったとき、全人にとって、

評価を得られる人もそうでない人も全人にとって、

幸福度をより高くするのはどのような思想か、マジメに考えるべきなのに。


少なくとも価値観についてはもう答えは出ている。

誰からも認められなくとも幸せだと思えるものごとを探せと。

[御仁]曰く「人は一人では生きていけないから」というが、

ならば人からの評価など糧を得るためのものに過ぎないと割り切ろうよ。

このような陋習は価値基準と完全に切り離して、みんなで幸せになろう。

閲覧数:3回